「窪庭囲碁道場について」  窪庭 孝 2010/9


【最初に】
 私の父が実家(栃木市)で「窪庭囲碁道場」を開いており、その教え子達が今年、中学校囲碁団体戦(3人)全国大会で2度目(前回2年前)の優勝を果たしました。
 「窪庭囲碁道場」の歩み/子供達の強さの秘密も含め、述べたいと思います。

【囲碁との出会い:父/兄/私】
 父の囲碁との出会いは、県庁に勤め始めてまもない20才の頃、職場で囲碁を打つ人が半数以上と恵まれた環境にあり、そこで囲碁を覚えました。
 若い頃は囲碁の魅力にのめり込んだ時期もあって、最終的には栃木県で最初の六段を獲得(免状取得)しました。「もっと早く囲碁に出会えていたら別の人生が・・」と思った事もあり、いつ頃からか父の夢が「自分の子供を囲碁のプロ棋士にしたい!」となっていったようでした。
 兄の囲碁との出会いは、ずばり父が兄へ俗に言うスパルタ教育を始めた事です。当時のエピソードとして「テレビ禁止」がありました。一時期家族全員テレビを見る事が出来ませんでしたが、只一つ許されたのがアニメ「巨人の星」で、今思うに星一徹/星飛雄馬親子を、自分達にダブらせていたのかもしれません。兄は最初嫌がっていたようですが、それでも栃木県代表を何度か獲得したり、大学では明治大学の黄金時代に活躍した一人でもありました。
 私の囲碁の出会いは、父が兄に教えている姿や大人達が碁を打っているのを、近くに来てチョコマカと見ていたのが最初でした。
 その後10才の頃日本棋院の院生になり約10年間プロを目指して修行しましたが、縁あって23才の時富士通に入社し現在に至っております。

【窪庭囲碁道場の歩み】
 父が窪庭囲碁道場を始めたのは約40年前、近所の碁好き達を何人か集めて、土/日に家を一部開放して始めました。その後父が55才(約29年前)の頃、勤めていた県庁を一念発起して早期退職し、囲碁道場を本格的に取組み始めました。順調ではありましたが、若い世代(~40代)の囲碁離れ等の影響もあり、徐々に道場に通う人々が減少していきました。
 「このままでは・・・」と思っていたちょうどその頃(約9年前)に、日本棋院より『ヒカルの碁スクール』の開校の打診がありました。
 父は「子供達に囲碁の楽しさを教えたい!」と一大決心し生徒を募集したところ、5人の初心者が集まって来ました。その中には今年の本因坊/アマ選手権栃木県代表になった癸生川聡(けぶかわ さとる)君がいました。
 現在のヒカルの碁会員(子供)は約50名(内女子20名・全体で内有段者30名)に増えました。
 又、今年中学校囲碁団体戦で2度目の全国優勝を果たす快挙を達成しました。



【窪庭囲碁道場の子供達の強さの秘密】
 それでは、何故ここまで子供達が強くなれたのか私なりに紐解いてみます。
<<指導方針>>
1.実践中心
 最初はみんな初心者の為、基本ルール/石や地の取り方等一通り何回かに分けて教えます。その後ある程度碁が打てると判断(20級位)すると、即実戦です。
 対局カードを使用して勝敗毎に点数が変動します。10級になると名札を道場に掲げてもらえる為、これを子供達は始めの目標にして頑張ります。
 その後子供達はそれぞれ目標(○○君に勝つ等)を見つけて頑張るようです。
 父は、対局している子供達の碁を見ながら、ポイントを指導していく方針をとっています。
   *「子供は講座を聞くと退屈し、対局すると目が輝く」

※1ヶ月で100局以上打つ子供達が何人もいます。

2.決断力/攻撃力の強化
 父は、長考している時、考えているか迷っているか直ぐ見分けが付くそうです。迷っている子供には父から容赦ない檄が飛びます。
 又、守るか攻めるかの決断が必要な時は、迷わず攻める方を優先するよう指導しています。
   *「攻撃は最大の防御であり、強くなれば自然に防御を覚える」

3.平常心
 相手が誰(棋聖でも)であろうと、普段通り平常心で打つよう指導しています。
 普段道場で3子置いて勝てない子に、大会では互先で勝ったりします。

4.叱る時に叱り誉める時に誉める
 父は、子供に分け隔てなく(+経験値)叱る時は叱り誉める時に誉めています。
   *子供だけに限らず、親御さんとも信頼関係が築けているような気がします。

5.指導対局
 私が道場の子供達を指導対局する際に気をつけている事は、石が接近している時、読みをしっかり入れて相手の攻めに備えている事です。
 これは、上手の常識である「上手が打った方向に下手は付き合う」が通用しない事が多く、弱い石に向かって果敢に攻めてくるからです。
   *子供達の戦法を、良い意味として『ノーガード戦法』と私は呼んでいます。

【最後に】
 今まで色々と延べさせて頂きましたが、もし興味を持たれましたら是非一度
 「窪庭囲碁道場」に遊びに来て下さい。